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かていようご

Author:かていようご
(社)家庭養護促進協会 大阪事務所のワーカー日記です。


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2012/10/01からの訪問者


月刊紙『あたらしいふれあい』9月号で、数年前に購入したミラーレス一眼レフカメラで
50周年記念事業の撮影係を担当することを書かせてもらいました。
毎月3000通発送している機関紙の反響はすごいもので、
トークや祝賀会では「これが例のカメラですね」とたくさんの人に声をかけてもらいました。

50周年記念事業の当日は毎日新聞の取材も入っており、
紙面に掲載される写真のために写真部のカメラマンのKさんも来られていました。
Kさんは、10年以上前に写真部でありながらも社会部へ修行に来られていた時に、
愛の手も担当してくださっていたので、
私たち職員とも仲良くさせていただいていました。
当日の機関紙の反響から、写真の出来へのプレッシャーも感じ、少々焦ってた私は、
「お願いですから、写真撮っておいてくださいよ~」と、Kさんに頼んでみたものの、
「あかん、紙面のものしか撮らへんで!」と言われてしまいました。

がっかりして、がんばるしかないか~と、
とりあえず、「数撃てば当たる」と信じて、バシャバシャとシャッターを切り、
気づけばトークでは450枚、祝賀会では300枚ほど撮影し、
最終的には充電池が無くなり、がみがみのカメラを借りる・・・
という事態になってしまいました。

それでも、Kさんと顔を合わせるたびに
「お願いですから、撮ってくださいよ~」と頼んでいたところ、
協会を見捨てられなかったのでしょう。
祝賀会のステージの写真はアップで撮ってくれていました。
祝賀会の会場は少し照明を落としていたので、
「この会場、けっこう撮りにくいで」とのことでしたが、
できあがった写真はさすが!
ステージで出し物を披露してくれているのKさんもMちゃんもHちゃんも、
暗い会場にもかかわらずピントも合い、光の加減もちょうどよく、
とってもきれいに映っていました。

その反面、数撃てば当たる作戦の私の出来栄えはというと・・・。

トークの写真はまだましでしたが、祝賀会の写真はピントが合っている写真は数えるほど。
「この会場けっこう撮りにくいで」とKさんに言われて
「撮りにくいのか!」と初めて気づくぐらいでしから、
この結果も仕方ありません・・・。
カメラが良くても技術がダメではあかんのや~ということを気づかされました・・・。

写真はこんな結末ですが、50周年記念事業に関しては、
参加していただいた方から「よかったよ」と言ってくださることが多く、
私たちもがんばってよかったな~と思っています。

連続4回の50周年記念事業のこぼれ話はこれでおしまいです。
明日からは11月です。
来月は怒涛の更新とならぬようにしなければ・・・。








こぼれ話、第3弾・・・
自分に与えられた日が過ぎてしまいました・・・。
すみません・・・。
運動会準備に忙しく、少々もう記憶から薄れつつある、50周年記念事業です。

3月くらいから会場探しを始め、4,5月は年度初めの業務に追われてあっという間に過ぎ、
気が付けば6月になっていました。
半ばから話し合いを詰め、7月頭に実行委員会を開催し、一気に加速。
まずは大急ぎでチラシを作らなければ・・ということになりました。
まだ中途半端にしか決まっていないところもある上に、
時間は2週間ほどしかない・・。
昼の部、夜の部と2つの内容を盛り込み、ファックスでの申込の様式もつけて、
地図も入れて・・・と情報も盛りだくさんです。
予算も限られてくるので、自分たちで作るしかない、と思いましたが
「何を作っても、箇条書きの説明のようなチラシしか作れそうにない」と
ハタと気づきました。
事務所にアルバイトで週1,2回来てもらっているKさんは、
普段は会計関係の仕事をしてもらっていることが多いのですが、
今回思い切って、「自由に作ってみてください」とチラシ作製をお願いしました。
一応、チラシ係は私だったのですが、他にやるべきこともいっぱいあるし、と
あっさり放棄して、丸投げしたところ・・・・正解でした!
日頃から、事務作業が手早く、加えてパソコンの技量はなかなかのKさん。
イラストのソフトも使って、素人っぽくない仕上がりで、
それを大急ぎで印刷注文し、無事に完成しました。
この時、Kさんの才能を新たに発見し、またお願いしようとほくそ笑んだのでした。

8月に参加締切後、9月に入ってくるといよいよ大詰めですが、
当日プログラムについては、本番2,3日前までにできあがっていればいいな~と
比較的のんきに構えていました。
20人の出演者の紹介がわりのメッセージを掲載することになり、
名刺サイズくらいのメッセージを郵送してもらっていたのですが、
お忙しい方もあり、なかなか集まりませんでした。
また仕事が入って出演できなくなった方もあって、
1週間前にようやく出演者全員が確定し、メッセージが間に合うかどうか
一か八かという状況になりました。
直筆で書いてもらいたかったので、速達にしてもらったり、ファックスで送ってもらったり。
随分気をもみ、結局1人の方の分だけが、がみがみの代筆となりましたが
まずまずの出来栄えのプログラムが完成しました。
この時もKさんの活躍はすばらしく、直筆のメッセージを取り込んで、汚れを修正してもらったり
ちょっとお願いすると、サクサクッと直してくださるのでした。

私は、ついつい、何でも自分で、自己流にやろうとしてしまうところがあるようで、
何年か前に、運動会で小さいサッカーゴールのネットがいることになり、
ビニールロープで結び目を作り続け、ネットを作ってしまったことがあります。
就職して以来の、貧乏・倹約体質になってしまっているからかもしれませんが、
この時は、安いネットを探して買えばよかったのだ・・・と完成してから気づきました。

今回は極力自制して、人に頼めることは頼むことをこころがけました。
準備、当日ともにいろいろな分業体制で、なんとか乗りきることができ、よかったなと思っています。




がみがみが『その1』と書いていたので、
え!続けるんや~、ということで『その2』は、お料理@祝賀会編。

記念事業を、昼にトーク、夜に祝賀会、と2つをしようと決めたものの
それに合う会場を選ぶのが難しく、
同じ建物の中で一緒にできる場所はないか??と探すものの
会場の広さ、利用料金、駅からの距離など要件を満たすところがなかなかありません。
しかも、同時に空いているとなると、また条件が厳しくなります。

ようやくたどり着いたのが、阿倍野区民センターと天王寺都ホテル。
センターからホテルまで、10分ほど歩く距離に迷ったのですが、
トーク終了時間から、ホテルの使用可能時間まで少しあいていたので
「そのくらいの移動があった方が、ちょうどいい時間になるんじゃない?」と。

会場が決まり、さて、祝賀会とはどんなふうにするか。
「とりあえず、ホテルの人に相談しよう」と6月に担当のまじまじと私が出かけていきました。

担当してくださった方は、里親制度に関心を持っていて
協会の存在も「実は知っています」とおっしゃってくださり、
とても気さくな方で一気に緊張がとけました。
事業の趣旨も理解して、「子どもさんに喜ばれるメニューも考えましょう!」と
ホテルのビュッフェパーティーではあまり出さない、
カレー(おいしいと評判らしいです)や唐揚げなども
メニューとして提案してくださいました。
最終的には、人数が分かって9月に入ってから、と打ち合わせを終わりました。

チラシや機関紙、個別送付などで、記念事業の案内を発送し、
いよいよ参加申し込みを待ちます。

定員トーク300人、祝賀会300人で案内し、
トークの参加申し込みは順調に増え、
定員オーバーで抽選になったらどうしようという心配をするくらいでしたが、
祝賀会の方の参加がなかなか増えません。
300人ということで、2部屋をぶち抜いた、一番広い会場をおさえているのに
半分しか使わなかったらどうしよう~、
お料理の費用が少なかったらどうしよう~、と心配が募りました。

とうとう、人数が決まり、ホテルとの最終打ち合わせ。
出演者やスタッフも含めて180人くらいの参加になり、
会場がスカスカになることはないだろうと安心しました。
が、問題はお料理。
当初の人数の6割ですし、さらに私たちはできるだけ安くということを言うものですから
「ホテルでお食事をしていただくからには・・・」と、担当の方も頭を抱えられていました。
さらに、今回「ビュッフェ形式」での食事だったのですが、
「ビュッフェ」は「バイキング」ではないことを何度も念を押されました。
設定している人数分の料理を順番に出しているので、「食べ放題ではない」ということです。
余裕があれば、人数を多く見積もって料理を用意すれば、
お客さんがどれほど取っても「足りない!」と言われることがないですが、
なんせ余計な分は作れない予算です。

「改めてメニューをたててみます」と担当の方はおっしゃいましたが、
事務所では、「どんなメニューになるのかな?」、
「カレーとサンドイッチとから揚げ、
デザートにクッキーとかだけやったらどうする~」と冗談とも本気ともとれない話を
していました。
出てきたメニューは、さすがホテルです。素敵なものでした。
20の各テーブルには寿司桶を置き、料理コーナーに人が殺到しないような配慮をし、
オードブルからメイン、デザート。
デザートには、「(この予算でできる)パティシエ人生をかけた渾身のもの」を
用意してくださいました。

当日、会場ではおそらく司会のがみがみとまじまじが
このビュッフェ形式であることを説明し、「ご自分の食べられる量を取ってください」と
お願いしていたと思います(私は、まだ会場に到着していませんでした)。

そのおかげか、「料理が少なかった」という声もなく、
祝賀会終了後、短い時間でしたが(時間がおしていたので)、
残ったお料理とデザートでスタッフのみの簡単な打ち上げをすることができました。
「渾身の」デザートもおいしかったようです。

と、細かいメニューが書けず、「ようです」なんて中途半端な書き方なのは、
私が食べられなかったからです。
残念~~。
今度、「評判」というカレーを食べにホテルに行こうかなと思っています。

ワーカー日記の存在をうっかり忘れてましたが、
今日から怒涛の連続更新!……の予定。

「こぼれ話」というのは、もちろん、50周年記念事業のです。
前回のワーカー日記で、ずしずし が詳しく報告し、
今月の機関紙でも、トークと祝賀会ネタで原稿を書いていますが、
書ききれていないことがたっぷり…!?あるのです。
果たして「その4」まで続くかどうかはわかりませんが、
今回は、ふれあい楽団@祝賀会のこぼれ話。

「ふれあい楽団」は、夏のふれあいキャンプのキャンプファイヤーで、
子どもたちがグループの「だしもの」をするときに、
「私たちも♪」と、協会職員たちで演奏を披露する楽団です。
リコーダー&打楽器だったり、ピアニカの重奏だったり。
祝賀会の余興を考えていた時、真っ先に!思いついたのは、
「ふれあい楽団」を皆さんに聞いていただこうということ。
去年のキャンプで、ピアニカ四重奏で演奏し、大好評だった(!?)
NHK朝ドラ『あまちゃんのテーマ』と、
今年、もう何度耳にしただろうか…という、アナと雪の女王の
『Let it Go ありのままで』の2曲を演奏することにしました。

記念事業の忙しい準備の合間を縫って、
まじまじの厳しい指導のもと練習を重ねて、迎えた本番。
『あまちゃん』のときには、去年の運動会の競技のために作ったけれど、
雨天途中中止のためにお蔵入りになってしまった、
あまちゃんアイドル編の衣装(ひらひらのスカートと大きなリボンのカチューシャ)を
つけて登場してみましたが(←FBに載っていた写真はこれです)、
はたして、誰があれを、あまちゃんアイドル編をイメージした衣装だと
気づいてくれはったかしら…。

『ありのままで』のときには、ぴろぴろが雪の女王エルサに扮し、
会場内を練り歩く…という企画をしていました。
なかなか凝った衣装を用意し、座席図を見ながら動線を考え、やる気満々でした。
当日は、舞台上の金屏風の陰から「ばばーーん」と華麗に登場!
会場は、「うわああ~♪」と大盛り上がり!
……となる予定が、金屏風の後ろに隠れるスペースがなく、
会場の後ろのすみっこのドアから登場することになってしまいました。
せっかく予定していた「動線」もいきなりのNG。
で、曲が終わるのと同時に、「ばん!」とドアを閉めて女王退場!
……となる予定も、最後の小節になっても、いまだドアにたどり着いておらず。
と、ちょっとモタモタでしたが、みなさんには楽しんでいただけたようでよかったです。
演奏の方も大きなミスなく、まずまず…でした。

記念事業後のぴろぴろの退職が決まっていたので、
「記念にDVDにして、あげるからな♪」と言っていたのですが…。
あとでビデオを見てみたら、舞台上のピアニカ四重奏をずっと映していて、
途中に投げた紙テープだけが、画面の端っこから映り込んでいただけで、
女王ぴろぴろの姿は、まったく映っていなかったのでした!

このふれあい楽団の演奏、祝賀会に参加していただいていた
毎日新聞の記者さんたちにも、なかなかご好評で、
12月におこなわれる社会部のチャリティーオークションでの
演奏をお願いされてしまいました。
「やっと終わった~!」と喜んでいたに違いない、
音楽苦手…大嫌い…のぺたぺたは、がっくり…だと思います。

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